ひとり暮らしの会社員時代に無利息ローン

ひとり暮らしをしていた会社員時代のこと。突然身体をこわしてしまい、結果的に退社を余儀なくされました。次の仕事を探してもできる状態でなく、医者からはしばらくの休養を言い渡され、貯蓄と失業保険を崩しながら生活することに。

おとなしく実家に帰れば良かったのですが、反対を押しきってひとり暮らしを始めたこともあり戻るのは抵抗がありました。当時住んでいたマンションの家賃は8万円。仕事をしている時期も決してゆとりがあるわけではない金額でした。

失業状態での家賃支払いとなると、毎月貯金がみるみるうちに減っていきます。なるべく贅沢をしないよう食事も最低限となり、ワンルームに引きこもりがちになりました。

最終的には寄生するように知人と同居することで落ち着いたものの、収入がない時に払い続けてた家賃の総額はかなりのものです。結婚してマイホーム資金を考えるようになった今思うと、会社員時代の給料は底をついたし勿体ないことをしたなあと後悔しています。

また、ある時期、収入が少なくって、困った時期がありました。なんとか食費などを切り詰めて、生活をしていました。お米だけは大量に買って、じゃがいもとまぜたりして、かさを増して食べてお腹いっぱいにしたりしていました。

そしてどうしても足りないぶんは、今で言うカードローンを利用したり。本当は使いたくなかったのですがそうも言ってられない状態だったんです。当時は金利も高かったですし、無利息カードローンなんてのもなかったので勇気が要りましたが。。。

外食はほとんどせず、お水なども自動販売機で買うともったいないので
ペットボトルに水道水をつめて持ち歩いていました。

また、なるべく冷暖房などは使わずに冬は、部屋の中でもダウンジャケットを着てすごし夏は上半身裸で暮らしていました。しかし、若くて元気ですし、時間もあったので、遊びたい気持ちはやまやまなのですがお金がないので、お金がかからない趣味をみつけなくてはなりませんでした。

なので私は、どこまで歩けるか試してみるというチャレンジを趣味にしてみました。ランニングだと靴や服などがいりますが、歩くだけならお金はかかりません。

そして休日は朝から歩いて、もし電車代を払っていたら600円くらいかかるところを往復したりして、満足をしていました。今振り返ってもなかなかおもしろい趣味だと感心します。

最終的に両親には感謝しかないという思い

貧乏生活は社会人1年目から始まった。

大学生活を無事に終え、晴れて社会人に!大学から一人暮らしをさせてもらっていたので、これからは自分の力だけでの生活。不安もあったけれど、自立できる!と楽しみでちょっと誇らしげな気持ちが勝っていた。

GW明けに配属され、本格的な仕事が始まった。朝から晩まで働く。月曜日から金曜日までの週5日。基本給に残業代が加えられていく。

そんな当たり前の生活が入社3ヶ月で終わってしまった。

私には幼い頃からの持病がある。社会人になり、忙しい日々を過ごす中で病状が悪化してしまった。勤めていた会社では試用期間の3ヶ月以内に3日以上欠勤すると正規雇用しないという規定があった。私はその3日を超えてしまい、職を失った。

すぐに次の仕事を探した。働いて収入がなければ生活ができない。幸いすぐに見つかり、アルバイト社員として契約をした。欠勤日数の規定はないけれど、働いた分しかお給料は出ませんよという形態。

お給料は月を追うごとに減っていった。けれど、生活費はかかる。病院に行くのに医療費もかかる。もうお給料だけでは足らなくなっていた。

だんだんクレジット払いのものをリボ払いに変更し始めた。それでも手元のお金が足りなくなり、キャッシングを始めた。どんどん借金は増えていくのに返済できる見通しは全くたたなかった。

そんな生活を3年続け、もう限界だという時になって初めて両親に連絡をした。黙って一通り話を聞き終えた両親が発した一言目は「なんだそんなことか(笑)」。

どうやら妊娠しただとか、そういった話をされるのかと身構えていたらしい。すぐに用意するから、総額を出して早く返済しなさい。

苦しくて、辛くて、情けなくて、でも意地を張って素直になれなかった。そんな3年間がとてつもなく、あっけなく終わってしまった。

「これからは身の丈に合った生活をしなさい。もう体を無理させるんじゃない。」
これが両親から言われた全てでした。

どれだけ自分は子供で甘ったれだったことか。当たり前だと思っていた日々がどれだけ両親のお陰で成り立っていたものか。そして、どれだけ素晴らしい両親に恵まれたことか。

お父さん。お母さん。
ありがとう。

本当にお金がない時人は黙る

金欠、というと一言でお金がないという訳なのだが、「今金欠なんだよね~」と人が言うとき、実はそこまで苦しい状態でないことの方が多い。

本当にお金がなくて苦しい時、人は誰にも何も言えないものなのだ。

私が金欠で苦しい時、まずは外食をなくし、食べ物を質素にするのだが、その場合夕食は殆ど納豆ご飯となる。納豆にも飽きてくると、もやしとか、安い白菜なんかを煮たりして量を増やしてしのぐ。もちろん電車にもバスにも乗らず、歩いて出勤し、昼ごはんはおにぎりだけ。

ただ、そういう生活にも飽きてくると、爆発的に贅沢がしたくなるのが人間の性。

今まで一度だけしたことがある最後の手段がある。それは、商品券をクレジットカードで購入し、それを金券ショップに売るというもの。大概は94%くらいで買い取ってくれる。

1万円の商品券なら、600円は捨てたと思って、9400円を手にし、それでまた食べ物を買ったり、普通の生活をするというもの。ただ、翌月の支払いで大変痛手になるということは明らかである。

知り合いにその話をしたら、借金などをしてしまう人が最後の手段として使うことがある方法だということ聞いて、これはいけないと相当なショックを受けた。

自分のつけは自分で払わなくてはいけない。いくら収入が少なくとも、ある分で暮らさなくてはいけないのだ。

厳しいもので、お金の有るなしは人それぞれ収入が異なることで変わってくる。欲しい物があってもお金のないときにはぐっと我慢をして、身の丈の生活をしなくてはならない。

給料をすべて趣味につぎ込む愚行

私がフリーターをやっていた時のことです。私はもらった給料はすべて趣味に投入するような生活をしていました。給料日前には殆どお金はなくなるような生活です。

その日は彼女とデートの約束をしていました。給料日なのでお金も振り込まれる予定でした。しかし、銀行で確認すると給料が振り込まれていません。

おかしいなと思い、会社へ連絡すると、手違いで明日振り込むから、ごめんねとの事。これからデートなのにお金がないので慌てました。彼女に少し遅れると連絡をして、消費者金融へ行き、お金を借りることにしました。

一週間は利息が付かないので、次の日に返えす予定でした。そしてなんとかデートをして、お金を次の日に返しました。

問題はこれからでした。消費者金融の便利さを知ってしまい、お金が足りないとすぐ借りればいいと考えてしまいがちになり、借金がいつのまにか増えていきました。

自分のアルバイトのお金だけでは返せない借金になり、友人に少し借りて返したりしましたが、それを繰り返すので友人も、怒ってしまいました。

他の友人から「お前お金借りる癖なおせよ」と忠告の電話までもらうくらい噂が広がっていました。私も返したくて泣きました。

親に電話した時は死ぬほど、怒られました。「ただの飲み食いで借金してどうするんだ?」と親父に怒鳴られ自分の馬鹿さに涙がでました。

最終的には親父が全額返済することになりました。もちろん全額返済する約束です。ただ友人達に信用がなくなってしまったのは、本当に苦しいことです。

まさにお金は天下の周りものdeath

稼ぐことは難しく使うことはとても簡単なお金。まさに金は天下のまわりものといった感じで、お金にまつわる苦労は尽きません。学生の頃、私は常にお金に困っていました。実家からの仕送りはないし、奨学金は授業料に飛んでいく。当然アルバイトも行っていましたが、家賃やら電気水道料金やらを支払っていくと必然的にお金は足りなくなってしまいます。

お金が足りなくと不思議なことにあまりお金は減らなくなるのですが、それでも人間食べることなしに生きていくことはでいません。1日3食食べることが困難になってくると朝食を抜かして2食にし、それでもお金が足らないようだと思うと1日1食に減らすようになりました。するとその1食に何を食べるかが問題になってきます。

当然、油断して高価なものを食べてしまえば1食にした意味がないわけで、かといって安い菓子パンなどを食べても腹持ちがわるくすぐにお腹が減ってしまいます。そんな時、とても役に立ったのがコンビニに売っていたポップコーンです。ポップコーンは100円で買うことができて、しかも袋にパンパンになるほど詰まっています。

これを時間をかけてゆっくり食べるとお腹がいっぱいになり大きな満足感を得ることができました。しかし、万能に思えたポップコーンも、そのような生活を数か月続けていると、栄養が偏り思うように体が動かなくなってくるのです。歩くとすぐに息が切れたり、体中にできものができたり。

いくらお金がないからと言ってポップコーンばかり食べるのはどう考えても健康に悪いよなと思いつつ、それでも結局ポップコーンに手を出してしまうのは、今でも貧乏性が身についているからでしょうか。

そして、やはり、お金がないと困ることと言えば、病気になった時です。病院に行ってヘタに検査されてしまっては、お金がかさんでしまうし、だからといってドラックストアーに行ってもそんなに安い薬は置いていないので困ってしまいます。友人の結婚式が重なったりした月はもう、食費だって大変なのに、薬にお金なんてかけていられません。

生きていくということはこんなに大変なのかと思い知らされることばかりです。風邪なんてひいていられなくても、無理して仕事をすれば疲れで免疫力は低下するので、具合だって悪くなり易くなります。それでも生活をするために無理にたくさんの仕事をするから、けっこうな悪循環となります。お金というのは、稼ぐのは大変でも出ていくのはあっという間で、時々涙すら出てくる始末です。

そんな中、胃の痛みと頭痛が続いています。そしてそこに生理まで重なってしまったので、生理用品と薬代が馬鹿になりません。こんな中生活していくのに、国は税金という物をとるのですから非道ですよね。病院代も、保険代もかかりすぎるせいで生活に支障をきたしてしまうのでは、いけないのではないかと抗議したくなります。

それでも、生活をやりくりして、どうにか乗り越えられそうです。好きなものは買えないし、なかなか美味しいものも食べられないですが、なんとか生活を出来ていることに感謝したいと思います。市販の薬も、もう少し安くなることを願いたいです。ないと困るものでもありますので、是非国には検討していただきたいものです。

自己紹介がてら彼とのお金エピソード

こんにちは、ブログを始めさせて頂きます。

大学生の一人暮らしをしていた頃は、女であるわりに雑な性格をしている私。お金がなくて、光熱費を止められそうなこともよくあったんです。

当時の記憶ですと、早く止められるのが電話(無くても生きていけるから)次に電気、次が水道だったと思います。

電話は実家から電話がかかってくる時、”お客様のご都合で~”というのは恥ずかしい気がして、とめられないように気を付けていました。電気に関しては、とめられたら最悪、友人宅に転がりこんだり、学校で実験して朝帰りすればよかったので、何度かとめられたりしてましたね。

こんな私にも、初めて彼氏ができて付き合いだしまして、彼氏が私のおうちに来たい、と言い出しました。私はもちろん、ウキウキと、”じゃぁ明後日のお誕生日においでよ、うちでお祝いしてあげるよ”なんて答えたわけです。

ご機嫌に彼へのプレゼントを用意したり、ケーキの材料やら、晩御飯の材料を揃えまして、財布は一通り涼しくなってましたけど、仕送りやバイト代の振込が翌週だったんで、楽勝だなと思ってたと時、とんでもない事を思い出しました。

まさにその、彼の誕生日、彼がうちに来るっていう日の前日が、電気代の支払い期限で、その日に払わないと、電気がとめられてしまうって事です!!

初めて彼が家に来るのに、電気がつかないなんて、カッコ悪すぎる!!一瞬、”そうだ、いつぞやみたく、ロウソクで過ごそう!?”とも思いましたけど。あんなのは、電気は着くけれど、あえて消してその雰囲気を楽しむものであって、現代照明に代替するもんじゃない!!まして、初めて彼氏が来る日に!!

とにかく、ヤバイヤバイ。めっちゃヤバイ。幸いにまだ昼過ぎ、まだ彼氏が来るまでにまだ時間がある、なんとかしなくちゃ。

そこで私が考えたのは、今思えば、自分でも呆れてしまうのですが。当時は愛媛県松山市にいましたので、道後温泉街へ自転車で行きまして。旅館の裏口から入って”今日だけ働かせてください、日雇い現金で!!なんでもします!”と頼んでまわったんです(汗)

”なんでもしますから、日雇い現金でお願いします”当然、そんな無茶苦茶な訪問を、まともに相手してくれるところなんて、簡単にあるわけではなく、10件以上断られたと思いますが、わたしは、初めて彼氏訪問に電気が止められいる、なんていう珍事をどうしても避けたかったんで、粘ってまわり。。。

とうとう、”皿洗いと布団のシーツ替えする?あと掃除も手伝ってくれて、夜の宴会で酌して回ってくれるなら、出してあげる”と、言ってくださった旅館の女将さん。

私が正直に事情を話すと、呆れながら3万円貸してくださり、私はその足で、電気代を支払い、旅館に戻り、その日を含めまして、翌週もそこで、アルバイトさせていただきました。

とにかくその日は、ひらすら働きました。皿洗い、シーツ替え、客室の掃除機から雑巾かけました。その夜は、どこぞの学校の先生の宴会で、お酌をして回りました。

私は、よく日、電気をとめられることなく、無事に彼を家に招待しまして、無事に彼の誕生日をお祝いすることができました!!

そして、私はその旅館先で、大学卒業までアルバイトを続けました。彼とはその後、結婚しましたが、彼にはその日の事をいまだに話してはいません(笑)